R5弥彦神社!! 創立四十周年記念参拝

R-5弥彦神社参拝 (有)海洋技研 創立 四十周年
(至昭和五十八年八月十三日)

 

令和五年八月十三日 新社長 福井勉 新専務 髙木礁平 会長 髙木 潤
有限会社海洋技研の三役で会社設立四十年、弥彦神社に参拝を始めてから今年でまさに四十年の節目に三役で恒例の参拝、御祈祷をしていただきました。

会社設立者、髙木 潤が(株)日本海洋産業在任時代最初の赴任地が新潟沖で海底油田の試掘に赴いた掘削船「第三白龍」の支援ダイバー(オイルダイバー)として新潟市を訪れた時に会社から、「弥彦神社は石油の神様ですからこの度ロケーションの安全祈願を行なって御札を頂いてきてください」と命ぜられて弥彦山を目指して新潟市から車で向かった、弥彦神社は敷地内に弥彦競輪場を持ち、競輪場脇にある参道を通り抜け、大鳥居に向かう道は千年杉と思われる程の大木の杉参道を通る道だ。「第三白龍赴任社員」の安全祈願札を戴きに弥彦神社に参拝をした事をきっかけで当時は「随分と立派な神社だな!」と思い、この神社を自分も起業をした時には「祀る」事をボンヤリと考えていた。(のちに弥彦神社は天皇陛下より御神饌をいただける数少ない神社だとレクチャーを受ける)
昭和五十八年晩春に潜水会社起業のチャンスが訪れて「会社設立日」を悩んでいたところ母校である潜水学校の故清水兼松先生の言葉を思い出した、「南部潜りはお盆の十三日は釜の蓋が開き、十六日に蓋が閉まるので十三日から十六日は潜ってはいけない」。その言葉から八月十三日から八月十六日までは南部潜り達は休む事で、「8月13日」を潜水禁止日、会社設立日に登録をした。同十三日に弥彦神社参拝に出向くことを決めて実行をして参りました。
参拝初期当時に聴いた事に(レクチャーを受けた)なぜ弥彦神社が石油の神様なのか?なぜ日本の石油掘削船は「白龍」なのか?の真実を数十年振りにこの度、「宮司様」に聴き直してみたところ、私が間違って覚えている事を確認出来ることになりました。
「燃える土を神様に献上をした(アスファルトか?)または、燃える水を献上した(石油か?)」この古事の絵がアブダビ石油様より弥彦神社に献上されて、宮司様の執務室に飾ってありました。(越の国が天智天皇に献上した絵?)
私の記憶にある「白龍」については「飢饉の時に雲の切れ間から白い龍が舞い降りてきて、人々は燃える水を献上した」と聴き覚えていましたが私の思い違いでありました。宮司様が述べるには時代や年号の代わり目には「鶴」とか「龍」とか「大鳥」とかを伝記に使うことが多々あったと説明されました。新潟市には「白龍神社」もあって、油井掘削発祥の地も折り重なって石油掘削船の名は迫力の増す格好の良い、「白龍」になったのではないかと説明、解説を受けた、したがって宮司様が述べる数ある弥彦神社伝説の中には、白い龍伝説は無かったという事でした。私の長い年月の記憶違いでありました。

三人揃い並び、拝殿において毎年恒例の祝詞奏上、御祈祷をおえた(雅楽生演奏による巫女舞奉奏)後、宮司執務室に置いて雑談後(記憶の確認)、素晴らしい宝仏殿を三十年ぶりに見学、弥彦神社自慢の大太刀(数振り)等を初めて見学をして、驚愕の福井社長と礁平専務だった。(二人とも弥彦神社は数回参拝経験有ったのだが)
ここ弥彦神社は「津軽藩の殿様」が大鳥居新築の際に「あすなろヒバ」を北前船にて運び献上された事も数十年前に宮司様よりのレクチャーがありました。 

(その昔、航海が大時化に遭い、寺泊湊に津軽十三湊の北前船が避難をさせて頂き手厚い歓待を受けた際に、津軽藩の殿様が弥彦大鳥居建造の際には津軽の立派な「あすなろヒバ」を献上させて戴く」と自ら約束をしたわりにはその後一向に献上されなくて、その事を津軽の殿様に「夜な夜な」夢に現れた弥彦の神様「アメノカゲヤマノミコト」にいつ献上をするのか?と、責め立てられた事を重く思い悩み、急遽君家に命じて、北前船で「あすなろヒバ」を運搬、献上建立をした。)
(同、津軽石の話も以前聴いた)

以上報告です。
髙木 潤

 

 


2023年08月28日